サッカー史に名を刻む偉大なミッドフィールダーの中でも、特別な存在感を放っているのがチェコ出身のパベル・ネドベドです。
「チェコの大砲」と呼ばれた彼は、その類まれなスタミナと強烈なプレースタイルで多くのファンを魅了しました。
本記事では、ネドベドのプロフィールから独特なプレースタイル、そして2003年バロンドール受賞に至るまでの輝かしい経歴を詳しく解説いたします。
パベル・ネドベドのプロフィール
パベル・ネドベドのプロフィールはこちら。
- 国籍:チェコ
- 生年月日:1972年8月30日
- 身長:177㎝
- ポジション:MF(ミッドフィルダー)
パベル・ネドベド(チェコ語: Pavel Nedvěd )は、チェコ出身の元サッカー選手で、「チェコの大砲」の愛称として親しまれています。
現役時代のポジションはミッドフィールダーで、オフェンシブなポジションでの出場が多い選手でした。
特徴的な金髪がトレードマークで、決して派手なプレーヤーではありません。
ハードワークと安定したパフォーマンスでチームを活性化させる存在でした。
その特徴的な外見と情熱的なプレースタイルにより、世界中のサッカーファンに強い印象を残し続けています。
パベル・ネドベドのプレースタイル
パベル・ネドベドのプレースタイルを簡単にまとめると、
それぞれお話していきましょう。
無尽蔵のスタミナと馬力
ネドベドの最大の特徴は底知れぬスタミナです。
90分間を通して落ちることがない運動量で、チーム全体のエンジンとして機能していました。
攻撃のときにはスペースに何度も走り込み、守備のときは積極的に参加します。
しかもボール奪取能力も高く、守備から攻撃への切り替えを素早く行うので、チーム全体のリズムを作り出せるのです。
決して派手なプレーヤーではありませんが、ハードワークと安定したパフォーマンスでチームを活性化させる能力に長けていました。
コンスタントに高いレベルでのプレーを維持し続けることで、チームメイトからの信頼も厚い選手でした
「チェコの大砲」と呼ばれた強烈なミドルシュート
両足による正確なキックを持ち、一気に走り込んでの強烈なミドルシュートを炸裂させることから「チェコの大砲」と呼ばれていました。
この威力抜群のミドルシュートは、多くのゴールキーパーを苦しめ、観客を興奮させる代名詞的な技術でした。。
好不調の波が少なく安定
ネドベドが重宝される理由として、好不調の波が無いところです。
シーズンを通して安定しているため、攻守両面で常に結果を出し続けてくれます。
また、精神面も強く、プレッシャーのかかる重要な場面でも動じることもありません。
チームが困難な状況に陥った時こそ、その真価を発揮するタイプの選手でもありました。
さらにネドベドは、監督の指示を的確に実行する能力も優れています。
そのため、精神的にも安定しており、戦術的な理解度も高いネドベドは、チーム戦術の要として重宝されていました。
パベル・ネドベドの経歴
パベル・ネドベドの経歴はこちら。
- 1990-1992ヴィクトリア・プルゼニ
1991-1992 デュクラ・プラハにレンタル
- 1992-1996スパルタ・プラハ
- 1996-2001ラツィオ
- 2001-2009ユヴェントス
それぞれお話していきます。
チェコ国内での成長(1990年)
1990年7月にシュコダ・プルゼニ(現ヴィクトリア・プルゼニ)でプロキャリアをスタートさせました。
父から教わったサッカーの基礎に加え、少年時代は毎日12時間練習していたという逸話もあり、その努力家ぶりは早くから注目されていました。
スパルタ・プラハ
デュクラ・プラハでの実力を認められ、名門スパルタ・プラハへと加入します。
加入当初はチームに馴染めず、監督のカロル・ドビアシュからも低い評価を受けていたのですが、周囲の目線を気にすることなく着実に実力を付けていきます。
結果、2シーズン目で完全に主力として活躍し、リーグ連覇にも貢献しました。
この時期に、ユーロ96に出場。
ここでの活躍が認められ、当時、世界最高リーグであるセリアAのクラブから注目されました。
ラツィオ
1996年にセリエAのラツィオに加入し、イタリアサッカーでの挑戦を開始しました。
1997-98シーズンにはリーグ戦11得点を挙げ、998-99シーズンにはUEFAカップウィナーズカップ決勝のマジョルカ戦では決勝点を挙げてチームにタイトルをもたら、1999-2000シーズンにはリーグ優勝に貢献します。
ネドベドはセリエAという世界最高峰のリーグで、その実力を遺憾なく発揮し、国際的な評価を獲得していきました。
それを証拠に2000年末頃にはマンチェスター・ユナイテッドが獲得を試みていましたが、エリクソン監督がオファーを拒否したようです。
事態が変わったのは、2000-01シーズン終了後に訪れます。
オーナーの大手食品会社業績悪化で資金調達が必要となり、高額な年俸を支払っている主力選手を余儀なくされました。
当初、クラブ側は長期の契約延長を提示し、ネドベドも合意していましたが、それは破棄となります。
そして、ユベントスへ移籍を言い渡される形となりました。
ユヴェントス
不本意な形で2001年にユヴェントスへ移籍するのですが、ここでネドベドの真の実力が世界中に知れ渡ることなります。
加入当初はネドベド自体もフィットしていませんでしたが、翌2002-03シーズン、ユーベの大黒柱に変貌を遂げました。
故障者が続出して危機的なチーム状況の中、ほとんどの試合にフル出場。
2年連続のスクデットを獲得に貢献します。
個人でもバロンドールを受賞しました。
このシーズンのネドベドは誰が見ても圧倒的で、受賞前から「バロンドール間違いなし」と批評家から評価を受ける程の活躍ぶりでした。
2006-07シーズンカルチョスキャンダルによりセリアBに降格処分が下るものの、デル・ピエロ、ブッフォンと一緒にチームに残留。
1年でセリアA復帰する原動力となりました。
そして、2008-09シーズンをもって現役を引退しました。
レジェンドとしての引退とフロント入り
現役引退後は、ユベントスのスポーツディレクターに就任し、チームとフロントの間に入って補強などの運営に携わっていました。
そして2015年、ユベントスの副会長に就任。
選手時代の経験を活かし、クラブ運営の重要なポジションで後進の育成と組織発展に貢献し続けています。
まとめ
パベル・ネドベドは、「チェコの大砲」という愛称にふさわしい力強さと精神力で、サッカー史に不朽の名を刻んだ偉大なミッドフィールダーでした。
底知れぬスタミナと馬力を武器に攻守に駆け回り、強烈なミドルシュートでゴールを量産する彼のプレースタイルは、まさに「安定したパフォーマンスでチームを活性化させる」理想的な中盤の選手です。
キャリアのハイライトは間違いなく2002-03シーズンのユヴェントスでの活躍で、獅子奮迅の働きによりスクデット獲得に貢献し、バロンドールを受賞しました。
しかし、彼らしいエピソードとして、個人賞よりもチームの栄光を重視する発言は、その人格の素晴らしさを物語っています。
現在はユヴェントス副会長として、選手時代の経験と知識を活かしてクラブ運営に携わっています。ネドベドのプレースタイルと不屈の精神は、現代のミッドフィールダーたちにとって永遠の目標となり続け、サッカーの可能性を示す最高の教科書となっているのです。
コメント