【デル・ピエロ】イタリア屈指のファンタジスタが見せるプレースタイルとは

サッカー史に燦然と輝く名前の中でも、アレッサンドロ・デル・ピエロほど美しく創造的なプレーで人々を魅了した選手は数少ないでしょう。

「ファンタジスタ」の称号にふさわしい彼のプレースタイルは、技術と芸術性を兼ね備えた究極の表現でした。

本記事では、デルピエロのプロフィールから独創的なプレースタイル、そして輝かしい経歴まで詳しく解説いたします。

デル・ピエロのプロフィール

アレッサンドロ・デル・ピエロのプロフィールはこちらです。

デル・ピエロのプロフィール
  • 国籍:イタリア
  • 生年月日:1974年11月9日
  • 身長:173㎝
  • ポジション:FW(フォワード)

アレッサンドロ・デル・ピエロ(Alessandro Del Piero)は、イタリア・ヴェネト州トレヴィーゾ県コネリアーノ出身の元サッカー選手で、現役時は主にフォワードやトップ下でプレーしていました。

1998年と2008年にセリエAイタリア人年間最優秀選手賞を受賞。

またバロンドールおよびFIFA最優秀選手賞の候補にも挙がるなど、個人としても非常に高い評価を得ていました。

その技術と創造性は世界中で認められ、現代サッカーにおけるファンタジスタの代名詞となっています。

イタリア代表としては、3回のFIFAワールドカップと4回のUEFA欧州選手権に出場しています。

2006 FIFAワールドカップでは優勝、UEFA EURO 2000では準優勝に貢献しているんです。

輝かしい代表キャリアの中でも、最大のハイライトが2006年ドイツワールドカップのようで、40歳を迎えたデル・ピエロが

「キャリア最高の瞬間は2006年」

と後に語っているように、この大会での優勝は彼のキャリアの頂点でした。

デル・ピエロのプレースタイル

デル・ピエロのプレースタイルはこちらです。

デル・ピエロのプレースタイル
  • すべてが高次元で芸術的なテクニック
  • 驚異的な得点力
  • 戦術的柔軟性がある
  • 正確無比のフリーキック

デル・ピエロは基本的には最前線よりも一歩後ろでプレーするセカンドトップの選手で、前線よりも少し後ろの位置から攻撃を活性化させる選手でした。

すべてが高次元で芸術的なテクニック

まず、デル・ピエロの特徴として、すべてのテクニックが超一流なところです。

特にトラップは芸術で、どのようなパスがきてもファーストタッチで正確にコントロールする能力は群を抜いており、この基礎技術の高さが彼の創造性の源となっていました。

また、難しい局面を美しいドリブルで打開する能力も、デル・ピエロの大きな特徴です。

ドリブルでは、巧みなキックフェイントや相手のタイミングをズラす上体フェイント、多彩なスキルを駆使して相手ディフェンスを翻弄していました。

彼のドリブルは単なる突破手段ではなく、観る者を魅了する芸術作品のようでした。

そして、左右の足から放たれる正確なパスとデル・ピエロの武器の一つ。

この技術的な完成度の高さが、彼を真のファンタジスタたらしめていたのです。

驚異的な得点力

ユベントスでは705試合に出場して290ゴールを記録していますというデル・ピエロの記録は、彼がいかに決定力に優れた選手だったかを物語っています。

特に左斜め45度は「デルピエロゾーン」と言われ、この角度から放たれるカーブシュートは高確率で、デル・ピエロは決めてしまいます。

ただデル・ピエロのすごいところは得意なパターンがあるだけではありません。

ダイレクトやループ、時にはアクロバティックなシュートを披露するなど、様々なフィニッシュパターンを持ち合わせています。

この状況に合わせたテクニックの高さが、結果的にデル・ピエロがユベントス歴代最多得点保持者にまで駆け上がった要因なんです。

戦術的柔軟性

デル・ピエロはトレセゲ、フィリポ・インザーギ、イブラヒモビッチらと錚々たるメンツと共演していますが、どの選手とも合わせることが出来る戦術的な柔軟性を持ち合わせていました。

ただ合わせるだけでなく、自身もゴールやアシストで結果を出してしまうところも、デル・ピエロのすごいところです。

正確無比のフリーキック

デル・ピエロといえば、何と言ってもフリーキックの名手として有名でした。

球種もカーブや無回転など、戦況に応じて打ち分けれる技術の高さもありました。

彼の蹴るフリーキックは、単なる得点手段を超えた芸術的な美しさを持っており、多くの名シーンがサッカーファンの記憶に刻まれています。

デル・ピエロの経歴

デル・ピエロの経歴はこちらです。

  • 1991-1993
    カルチョ・パドヴァ
  • 1993-2012
    ユベントス
  • 2012-2014
    シドニーFC
  • 2014
    デリー・ディナモス

それでは、細かくお話します。

ユベントス一筋のキャリア開始

デル・ピエロのプロキャリアは弱冠16歳で始まります。

パドヴァのトップチームに昇格し、さらに17歳でメッシーナ戦でセリエBデビューを果たしました。

若い頃から非凡な才能を示したことで、1993年にはユヴェントス会長のジャンピエロ・ボニペルティの目に留まります。

彼の意向により、15億リラの年俸でユヴェントスに移籍することとなりました。

ユベントス

通算19シーズン在籍したユベントスは各年代に応じてお話していきましょう!

1990年代の台頭と確立

1990年代に入ると、デル・ピエロは徐々にユベントスの中心選手として頭角を現してきました。

彼の転機となったのは1994-1995シーズン。

ロベルト・バッジョがパドヴァ戦で負傷し離脱したことにより出場回数を増やし、レギュラーとして定着していくことになります。

このシーズン全体でリーグ8得点を挙げたり、初のスクテッドを獲得したりと、デル・ピエロという選手が世界から注目されていきました。

そして翌1995-1996シーズンにロベルト・バッジョがACミランに移籍します。

彼から背番号10を引き継ぐことで、ユベントスのエースとして認められるようになりました。

この1990年代の経験から、デル・ピエロの特徴的なプレースタイルが確立され、ファンタジスタとしての評価を獲得していきました。

クラブでの成功が、代表チームでの活躍にも繋がっていきました。

2000年代前半の全盛期

1998年~2001年頃まで、デル・ピエロは負傷に悩まされ、それに呼応するかのようにチームも優勝できない日々が続いていました。

しかし2001-2002シーズンにマルチェロ・リッピが監督に復帰したことで、流れが変わります。

結果的に、このシーズンを優勝という最高の形で終えました。

デル・ピエロもこのシーズンからユベントスのキャプテンに就任し、ここから全盛期を迎えることなります。

この2000年代前半でデル・ピエロはクラブと代表の両方で重要な役割を果たし、数々のタイトル獲得に貢献しました。

技術的にも精神的にも最も充実した時期で、世界最高のファンタジスタとしての地位を確固たるものにしました。

2006年のセリエA降格~2012年

ユベントスが八百長問題でセリエBに降格処分を受けてしまいます。

そのため主力選手たちがファビオ・カンナバーロ、エメルソン、ジャンルカ・ザンブロッタ、パトリック・ヴィエラ、ズラタン・イブラヒモヴィッチ、リリアン・テュラムなどの主力が一斉に移籍する事態となり、当然、デルピエロにも移籍の話がありました。

しかしデル・ピエロはクラブに残留。

マンチェスターユナイテッドからのオファーを断り、チームの復活を支えたのです。

この困難な時期を乗り越えたことで、彼のクラブへの忠誠心とリーダーシップがより一層評価されることになりました。

セリアA復帰してからもデル・ピエロは輝き続けます。

2007-08シーズンにはパオロ・ロッシ以来、史上2人目となるセリエB・セリエA連続得点王の快挙を成し遂げ、2008年11月29日、レジーナ戦でユヴェントスでの通算250得点を記録しました。

そして、2010年3月14日、シエナ戦でキャリア通算300得点を達成と驚異的な個人記録を打ち立てのでした。

キャリア後期の海外挑戦

ユベントスでの長いキャリアの後、デルピエロは新たな挑戦を求めてオーストラリアのシドニーFC、そしてインドのデリー・ディナモスでプレーしました。

年齢を重ねても衰えない技術と情熱で、世界各地のファンを魅了し続けました。

レジェンドとしての現役引退

長いキャリアを経て現役を引退した後の2015年以降は、スカイスポーツで解説者を務め、現役時代の豊富な経験と深い戦術理解に基づいた質の高い分析を提供しています。

解説者や実業家として、そして時にはイベントの出演者として、デル・ピエロは今もサッカー界に貢献し続けているのです。

まとめ

アレッサンドロ・デル・ピエロのプレースタイルは、完璧なファーストタッチ、美しいドリブルテクニック、両足からの正確なパスとシュート、そして芸術的なフリーキックという要素が融合した、まさに総合芸術でした。

「ファンタジスタ」という称号にふさわしい創造性と技術力で、サッカー史に不朽の名を刻んだ偉大な選手と言えます。

デル・ピエロはただ技術的に素晴らしいだけではありません。

セリエBに降格した際は、ユベントスに留まりクラブへの忠誠心を示したことで、クラブ史上最も愛された選手の一人となりました。

現在は解説者や実業家として活動しています。

しかし、彼が魅せた数々のファンタジーは永遠にサッカーファンの記憶に残り続けるでしょう。

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