ブラジル代表ゴールキーパー ジーダのプレースタイルと経歴を徹底解説 – 世界最高レベルの反応速度とPKストップで魅せたACミランの守護神
世界のサッカー史に名を刻んだ伝説的なゴールキーパーの中でも、特に印象深い存在として語り継がれているのがブラジル出身のジーダです。
優れた身体能力と独特のプレースタイルで多くのファンを魅了しました。
本記事では、そんなジーダのプロフィールからプレースタイル、そして輝かしい経歴まで詳しくご紹介します。
ジーダのプロフィール
ジーダ(本名:ネウソン・デ・ジェズス・シウヴァ)のプロフィールはこちらです。
ジーダは、1973年10月7日にブラジルのバイーア州イララーで生まれました。
身長195センチメートル、体重85キログラムという恵まれた体格を持つゴールキーパーで、そのフィジカルを最大限に活かしたプレーで知られています。
左利きのゴールキーパーとしても有名で、その特徴的なキック精度も彼の武器の一つでした。
ACミランでの活躍は特に素晴らしく、当時のイタリアセリエAで最高峰のゴールキーパーとして認知されていました。
また、ブラジル代表としても長期間活躍し、セレソンの守護神として数々の国際大会に出場しました。
クラブレベルでの成功だけでなく、代表チームでも重要な役割を果たし続けたジーダは、ブラジルサッカー界において非常に重要な存在として位置づけられています。
ジーダのプレースタイル
次にジーダのプレースタイルです。
特徴としてはこちら。
飛び出しにやや苦手意識があると指摘されることもあり、守備範囲の狭さが時折議論になることがありました。
しかし、反応速度やセーブ能力など、他の能力が守備範囲の狭さを感じさせないほど凄すぎなんです。
ジーダは守備範囲が狭くても、世界最高峰のゴールキーパーとしての地位を確立していたということになります。
驚異的な反応速度とセーブ能力
ジーダのプレースタイルを語る上で最も特徴的なのは、その驚異的な反応速度です。
瞬時の判断力と身体能力の高さが組み合わさることで、他のゴールキーパーでは到達できないようなシュートも見事にセーブしてみせました。
特に至近距離からの強烈なシュートに対する反応は、世界最高レベルと評価されていました。
PKストップ能力
特に注目すべきは、ジーダの代名詞とも言えるPKストップ能力でした。
ペナルティキックという極限の状況において、相手キッカーの心理を読み取り、的確なポジション取りと爆発的な反応でボールを止める姿は、多くのサッカーファンの記憶に深く刻まれています。
この能力により、重要な試合でチームを救う場面が数多くありました。
長身を活かしたハイボール処理
ハイボールの処理についても非常に優秀で、195センチメートルの長身を活かしたキャッチング能力は群を抜いていました。
セットプレーなどの空中戦においても、確実にボールを処理する技術を持っており、コーナーキックやフリーキックの場面で安定感を発揮していました。
優れたコーチング能力と統率力
コーチング能力も高く評価されており、ディフェンスラインとの連携やゲーム全体の流れを読む能力に長けていました。
的確な指示によってチーム全体の守備を統制する司令塔としての役割も果たしており、経験豊富なゴールキーパーならではの存在感を示していました。
ジーダの経歴
ジーダの経歴はこちらです。
- 1992-1993ECヴィトーリア
- 1994-1998クルゼイロ
- 1999-2000コリンチャンス
- 2000-2010ACミラン
- 2012ポルトゥゲーザ
- 2013グレミオ
- 2014-2015インテルナシオナル
やはりACミランでの活躍がすごかったですね。
ECヴィトーリア
ジーダのプロキャリアは1993年に地元バイーア州のECヴィトーリアでスタートしました。
ここで早くも頭角を現し、若手ながら注目される存在となりました。
わずか1シーズンの在籍でしたが、この期間でプロとしての基礎を固めることができました。
クルゼイロEC
ヴィトーリアでの経験を経て、クルゼイロECに移籍しました。
このクラブで1995年から5シーズンに渡って正ゴールキーパーとして活躍し、ブラジル国内でその名を知らしめることとなりました。
クルゼイロでの経験は、後のヨーロッパでの成功につながる重要な基礎を築いた期間でもありました。
コリンチャンス
1999年にはコリンチャンスへと移籍し、ここでも重要な役割を果たしました。
特に2000年にサンパウロとリオデジャネイロで開催されたFIFAクラブ世界選手権では優勝を果たし、決勝戦ではPK戦での活躍でチームの勝利に大きく貢献しました。
この大会での印象的なパフォーマンスは、後のヨーロッパ移籍への道筋を作ることになりました。
ACミラン
そしてジーダの最も輝かしいキャリアとなったのが、ACミランでの時代です。
加入してから2シーズン、言語の問題もあり、出場は1試合と苦しい時間ではありました。
しかし、2002-03シーズンにはクリスティアン・アッビアーティからレギュラーを奪取。
その後はレギュラーに定着し、イタリアの名門クラブで長期間にわたって守護神を務めることとなります。
2002年から2005年頃までは当時のユヴェントスのブッフォンと並んで現役最高のゴールキーパーと評されるまでになりました。
ACミランではチャンピオンズリーグをはじめとする数々のタイトル獲得に貢献し、世界中のサッカーファンにその名を知らしめました。
特に重要な試合でのビッグセーブは、クラブの歴史に残る名場面として語り継がれています。
ブラジル復帰とレジェンドとしての引退
現役後期にはブラジルに帰国し、SCインテルナシオナウなどでプレーを続け、40歳を超えても高い身体能力を維持し続ける姿は多くの人々に感動を与えました。
ジーダのキャリアは単なる成功譚以上の意味を持ち、現代ゴールキーパーの一つの理想形を示した偉大な選手として、サッカー史に永遠にその名を刻んでいます。
個人的なジーダの印象
ジーダの個人的な印象としては、やはりデカくて素早いという印象があります。
理由としては、至近距離でもシュートを止めてしまうシーンを数多く見ており、驚きが多かったからです。
あと、ジーダがすごい選手だと思わされたのが2005年のコンフェデレーションズカップで日本対ブラジル戦。
ジーダはこの試合に出場していないのですが、中村俊輔がスーパーなミドルシュートでブラジル代表から得点しました。
このシーンに対してインタビューされた中村俊輔が、
「ジーダなら止められていた」
と発言します。
これを聞いた当時、ジーダは本当にとんでもない選手だったんだと思わされた記憶があります。
まとめ
ジーダは、ブラジル代表とACミランで長期間活躍した世界屈指のゴールキーパーでした。195センチメートルの恵まれた体格と驚異的な反応速度を武器に、特にPKストップ能力では他の追随を許さない圧倒的な実力を見せつけました。
彼のプレースタイルの特徴は、瞬時の判断力による素晴らしいセーブ能力、長身を活かしたハイボール処理、そして優れたコーチング能力による統率力にありました。一方で飛び出しがやや苦手とされていましたが、それを補って余りある総合力で世界最高峰のゴールキーパーとしての地位を確立していたのです。
キャリアを振り返ると、1993年のECヴィトーリアでのデビューから始まり、クルゼイロ、コリンチャンスでの成長期を経て、ACミランで栄光の頂点を極めました。ブラジル代表としても長期間セレソンの守護神を務め、数々の国際大会で重要な役割を果たしました。
現代サッカーにおけるゴールキーパーの理想像の一つを体現したジーダは、その卓越したプレースタイルと輝かしい経歴により、サッカー史に永遠に語り継がれる伝説的な選手として記憶されています。彼の功績は、後進のゴールキーパーたちにとって大きな目標となり続けているのです。
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