ミシェル・プラティニのプレースタイルを徹底解説!フランスが生んだ伝説的司令塔の魅力と輝かしい経歴を紐解く
1980年代のヨーロッパサッカー界を代表する偉大な選手、ミシェル・プラティニ。
「将軍」の愛称で親しまれ、3年連続でバロンドールを受賞した彼のプレースタイルは、現代のサッカーファンにとっても学ぶべき要素が詰まっています。
今回は、プラティニのプロフィールから独特のプレースタイル、そして輝かしい経歴までを詳しくご紹介します。
ミシェル・プラティニのプロフィール
まず初めにミシェル・プラティニのプロフィールです。
- 本名: ミシェル・フランソワ・プラティニ(Michel François Platini)
- 生年月日: 1955年6月21日
- 出身地: フランス、ロレーヌ地方ジュフ(Joeuf)
- 身長: 179cm
- 体重: 72kg
- 利き足: 右足
- ポジション: ミッドフィールダー(攻撃的MF)/ セカンドストライカー
ミシェル・プラティニは、1955年6月21日にフランス東部のジュフ(Joeuf)で生まれました。
身長179センチという、当時のフランス代表のMFやFWの中では比較的長身な体格を持ち、その上背とバネを活かしたヘディングも得点源の一つとなっていました。
イタリア系移民の家庭に生まれたプラティニは、幼少期からサッカーに親しみ、父親の指導のもとで基礎技術を磨きます。
地元のクラブでプレーしながら才能を開花させ、やがて地域を代表する若手選手として注目を集めるようになりました。
フランスとイタリアの文化が混ざり合う環境で育ったことが、後に彼がイタリアのセリエAで大成功を収める土台となったのかもしれません。
ミシェル・プラティニのプレースタイル
続いてミシェル・プラティニのプレースタイルはこちら。
- 卓越した視野とゲームメイク能力: フィールド全体を俯瞰し、常に最適なプレー選択を行う司令塔
- 高精度のパス技術: あらゆる種類のパスを自在に操り、味方に正確にボールを届ける
- 優れたボールコントロール: 足元に吸い付くようなファーストタッチと、密集地でも冷静なボールさばき
- ミッドフィールダーとしては異例の得点力: 司令塔でありながらストライカー並みの得点能力を持つ
- フリーキックの名手: 多彩で正確なフリーキックで数多くの重要なゴールを記録
- 空中戦の強さ: 179cmの上背とバネを活かしたヘディングも得点源の一つ
- 9番と10番の二刀流: ゲームメーカーとストライカー、両方の役割をこなす万能性
- 高い戦術理解度: 監督の意図を理解し、効果的なポジショニングで実現する知性
- エレガントなプレースタイル: 力任せではなく、技術と知性で相手を上回る美しいサッカー
- 優れたリーダーシップ: 「将軍」の愛称通り、ピッチ上でチームを統率する存在感
時には10番、時には9番として臨機応変にプレーするところは見ていて衝撃でしたね!
卓越した視野とゲームメイク能力
プラティニのプレースタイルの最大の特徴は、その広い視野と状況判断力です。
彼は常にフィールド全体を俯瞰し、1、2秒の間に様々な場所へ目を走らせながら、最適なプレー選択を行っていました。
この張り詰めた緊張感と無邪気な遊び心が同居する姿勢が、プラティニの魅力の一つです。
ボールを持っていない時でも、常に首を振ってフィールド全体の状況を把握し、次のプレーを考えていました。
味方の動きを予測し、相手守備陣の配置を見極め、最も効果的なパスコースを瞬時に判断する能力は、まさに天才的です。
また、試合の流れを読む力も卓越しており、攻めるべき時、守るべき時、テンポを変えるべき時を的確に判断していました。
パスの精度とテクニック
ゲームメーカーとして有すべき視野の広さに加え、足元のテクニックも一流です。
特に右足から繰り出される様々な種類のパスは、フィールドのどこへでも正確に届けられる精度を誇っていました。
基本的に1タッチや2タッチで的確なパスを送ります。
また相手のプレスをいなすクレバーなボールキープも超一流です。
ショートパス、ロングパス、スルーパス、浮き球、グラウンダーと、あらゆる種類のパスを自在に操り、状況に応じて最適なボールを供給することができました。
特に、相手守備陣の裏へ抜け出す味方への絶妙なスルーパスは、プラティニの代名詞とも言える技術です。
また、狭いスペースでも正確にボールを扱うことができ、密集した状況でも冷静にプレーを選択できる技術力を持っていました。
ボールコントロールとドリブル
プラティニのボールコントロールは、まさに芸術的でした。
足元に吸い付くようなファーストタッチは、どんな難しいボールでも自在にコントロールすることを可能にします。
また、ドリブルにおいても、スピードよりもテクニックと緩急を活かしたスタイルで、相手を翻弄しました。
激しいプレスを受けても、巧みな体の使い方とボールタッチで相手をかわし、スペースを作り出す能力にも長けています。
フェイントやボディフェイクを効果的に使い、相手の重心を崩してからパスやシュートに移行するプレーは、観る者を魅了しました。
得点力を兼ね備えた司令塔
プラティニが他のゲームメーカーと一線を画していたのは、その得点力です。
司令塔でありながら、ストライカーに匹敵する得点能力を持っていました。
ASナンシーでは181試合で98ゴール、サンテティエンヌやユベントスでも高い得点率を記録し、プレーメーカーの域を超えた活躍を見せました。
ミッドフィールダーとして、1シーズンに20ゴール以上を記録することも珍しくありません。
ペナルティエリア内での決定力は抜群で、わずかなチャンスも逃さず得点に結びつける嗅覚を持っています。
シュートの正確性も高く、インサイドキック、インステップキック、アウトサイドキックと、様々なキックを使い分けて相手ゴールキーパーを翻弄しました。
フリーキックの名手
プラティニは正確なフリーキックでも知られています。
右足から繰り出されるフリーキックは多彩で正確性が高く、数多くの重要な場面で得点を挙げました。
UEFA欧州選手権1984では、フリーキックで決勝戦の先制点を奪うなど、大舞台でもその能力を遺憾なく発揮しました。
フリーキックでは、ボールの軌道を自在にコントロールし、壁の上を越えるカーブや、壁の横を抜くシュートなど、状況に応じて最適な蹴り方を選択可能。
また、直接ゴールを狙うだけでなく、味方へのパスとしてのフリーキックも巧みに使い分け、セットプレーから数多くのチャンスを演出しました。
ヘディングの強さ
179センチの上背とバネを活かしたヘディングも、プラティニの重要な得点源でした。
長身選手の少ないフランス代表チームにおいて、コーナーキックやフリーキックの際のプラティニのヘディングは、重要な得点コースの一つとなっていたのです。
ジャンプのタイミングと空中での体の使い方が巧みです。
そのため、自分よりも背の高い相手選手に対しても競り勝つことができました。
また、ヘディングでのパス精度も高く、味方へのフリックオンや落としのプレーでチャンスを演出することも得意としていました。
9番と10番、2つの顔を持つ選手
プラティニのユニークな点は、司令塔としての10番の役割と、ストライカーとしての9番の役割、両方の顔を持ち合わせていたことです。
状況に応じて攻撃的なポジションに飛び出し、自ら得点を奪うこともできれば、後方からゲームを組み立てることもできる万能性が、彼の真骨頂でした。
試合の流れを読み、チームが点を必要としている時には最前線まで上がってストライカーとしてプレーし、ゲームをコントロールする必要がある時には中盤に留まってパスを供給するという、状況判断の良さが際立っていました。
この柔軟性こそが、プラティニを当時のヨーロッパサッカー界で最高の選手たらしめていた要因の一つです。
エレガントなプレースタイル
プラティニのプレースタイルは「エレガント」という言葉がよく似合います。
靴下を下ろし、ユニフォームの裾を出してプレーするのがトレードマークで、その佇まいからも彼の独特な個性が表れています。
フランス人選手としては当時珍しい、精密なボールコントロールと理解力を持つプレースタイルは、後のフランスサッカーに大きな影響を与えました。
力任せのプレーではなく、技術と知性で相手を上回る彼のスタイルは、サッカーの美しさを体現していました。
無駄な動きを排し、必要最小限の動作で最大限の効果を生み出すプレーは、まさに芸術的です。
戦術理解度とポジショニング
プラティニの優れた点として、戦術理解度の高さも挙げられます。
監督の意図を的確に理解し、それをピッチ上で実現する能力に長けています。
また、ポジショニングの良さも特筆すべき点で、常に効果的な位置を取り、味方がパスを出しやすい場所に顔を出していました。
守備時にも、単に追いかけるのではなく、相手のパスコースを限定するような立ち位置を取り、インターセプトのチャンスを伺うなど、知的な守備を展開。
攻守両面において、戦術的な理解と実行力を兼ね備えた選手でした。
“将軍”と言われるほどの優れたリーダーシップ
プラティニは「将軍」という愛称で知られていますが、これは彼の優れたリーダーシップと、ピッチ上で味方を巧みに操る司令塔としての能力に由来しています。
主将として優れた統率力を発揮し、チームメイトを鼓舞しながらゲームをコントロールする姿が、まさに将軍のようだったのです。
ピッチ上では常に冷静沈着で、試合の流れを読み、的確な指示を出す姿は、戦場で軍を指揮する将軍そのもの。
また、重要な局面で自ら前線に立ち、決定的なプレーで試合を決める姿も、将軍という愛称にふさわしいものでした。
チームメイトからの信頼も厚く、彼の存在がチーム全体の士気を高めることも少なくありませんでした。
ミシェル・プラティニの経歴
続いてミシェル・プラティニの経歴についてお話します。
- 1972-1979ASナンシー
- 1979-1982ASサンテティエンヌ
- 1982-1987ユベントスFC
ASナンシー
デビューと才能の開花
プラティニのプロキャリアは、1972年にASナンシーでスタートします。
わずか17歳でのデビューでしたが、若くしてその才能を開花させ、地元クラブで名を轟かせました。
デビュー当初から、彼の卓越した技術と視野の広さは周囲を驚かせ、将来を嘱望される選手として注目されました。
クラブでの成長と実績
ナンシーでの7シーズンで、プラティニは着実に実力を伸ばしていきます。
最初の数シーズンは適応期間でしたが、次第にチームの中心選手として台頭し、攻撃の要となっていきました。
1978年にはフランスカップ優勝に貢献し、その活躍が国内外から注目されるようになりました。
驚異的な得点記録
ナンシー時代には181試合で98ゴールという驚異的な記録を残します。
ミッドフィールダーとしては異例の得点数で、この時期からすでに得点力を兼ね備えた司令塔としての片鱗を見せていたのです。
この実績により、フランス国内の強豪クラブから熱視線を浴びることとなり、次のステップへと進む準備を整えました。
ASサンテティエンヌ
強豪クラブへの移籍
1979年、プラティニはフランスの強豪ASサンテティエンヌに移籍。
当時のサンテティエンヌは国内で強さを発揮し、欧州カップ戦の常連となっていたクラブでした。
より高いレベルでのプレーを求めたプラティニにとって、理想的なステップアップとなったのです。
リーグ優勝の達成
サンテティエンヌでの3年間で、プラティニは2シーズン目の1981年にリーグ優勝を経験します。
この優勝は、彼のキャリアにおける重要なタイトルの一つとなり、ビッグクラブでの成功体験を得ることができました。
チームの中心選手として、タイトル獲得に大きく貢献したのです。
ヨーロッパでの評価の高まり
サンテティエンヌでの活躍により、プラティニの名声はさらに高まり、ヨーロッパの強豪クラブからの注目を集めるようになりました。
欧州カップ戦でも印象的なパフォーマンスを見せ、国際舞台でも通用する選手であることを証明しました。
この時期の活躍が、次なる大きな舞台への扉を開くことになります。
ユベントス
イタリア名門への移籍
1982年、プラティニはイタリアの名門ユベントスに移籍します。
27歳から32歳までの5シーズンをユベントスで過ごし、このクラブでの時期が彼のキャリアの絶頂期となりました。
当時のセリエAは世界最高峰のリーグと評され、そこでプレーすることは全ての選手の憧れでした。
セリエAでの圧倒的な活躍
ユベントスでは驚異的な成績を残し、1983年、1984年、1985年と3年連続でセリエAの得点王に輝きます。
ミッドフィールダーとして3年連続得点王という記録は、前代未聞の快挙でした。
守備的なイタリアのリーグで、攻撃的ミッドフィールダーがこれほどの得点を重ねたことは、プラティニの特別な才能を物語っています。
数々のタイトル獲得
ユベントスでは、セリエA優勝を2回、コッパ・イタリア優勝を果たします。
そして1985年には、悲願のヨーロッパチャンピオンズカップ優勝を達成。
この優勝は、クラブとプラティニ個人にとって、最も重要なタイトルの一つとなりました。
トヨタカップでの印象的なプレー
1985年のトヨタカップ(インターコンチネンタルカップ)では、ユベントスを世界一に導く活躍を見せます。
この大会では、オフサイドで無効になった”幻のゴール”後に見せた寝るポーズも話題となり、後にフリースタイルフットボールの技「プラティニポーズ」として命名されるほど印象的なシーンを残しました。
このユーモラスな一面も、プラティニの魅力の一つでもあります。
バロンドール3連覇
この時期に3年連続で欧州年間最優秀選手(バロンドール)に選ばれ、1980年代のヨーロッパサッカー界において最高の選手としての地位を確立。
ユベントスでの5年間は、まさにプラティニの黄金時代であり、彼のキャリアを象徴する輝かしい期間でした。
フランス代表での輝かしい実績
代表での記録
プラティニはフランス代表として72試合に出場し、41ゴールを記録しました。
これはフランス代表の歴代得点王という記録であり(当時)、49回キャプテンを務めるなど、代表チームの顔として長年活躍しました。
国を代表する選手として、常にチームを牽引し続けたのです。
EURO 1984での伝説的パフォーマンス
最大のハイライトは、1984年のUEFA欧州選手権です。
自国フランスで開催されたこの大会で、プラティニは5試合で9ゴールという驚異的な記録を樹立し、フランスを初の欧州王者に導きました。
この記録は現在でも大会史上に残る偉業として語り継がれています。
決勝戦での活躍
決勝戦ではフリーキックで先制点を奪い、「シャンパン・サッカー」と呼ばれた華麗なパスワークを披露しながら、フランス代表の黄金時代を築き上げました。
自国開催の大会で優勝を果たしたことは、プラティニとフランスサッカー界にとって、最高の栄誉となったのです。
ワールドカップでの挑戦
ワールドカップでは、1978年、1982年、1986年の3大会に出場。
特に1982年のスペイン大会と1986年のメキシコ大会では、フランス代表の中心選手として活躍し、チームをベスト4に導く原動力となりました。
ワールドカップ優勝こそ果たせませんでしたが、世界最高峰の舞台でその才能を存分に発揮しました。
輝かしい個人タイトル
プラティニの最大の栄誉は、1983年から1985年まで3年連続でバロンドール(欧州最優秀選手賞)を受賞したことです。
この快挙は、彼がヨーロッパサッカー界において圧倒的な存在感を示していたことの証明と言えるでしょう。
3年連続でのバロンドール受賞は、サッカー史上でも極めて稀な偉業です。
この期間、プラティニはユベントスで圧倒的なパフォーマンスを発揮し続け、セリエAの得点王を3年連続で獲得するなど、攻撃的ミッドフィールダーとして前人未踏の領域に到達。
彼の活躍は、当時のヨーロッパサッカー界において誰もが認める絶対的なものでした。
現役引退と指導者としての道
現役からの引退
1987年、32歳でプラティニは現役を引退。
まだトップレベルでプレーできる年齢でしたが、自身のキャリアの絶頂期を維持したまま、潔く引退を決断しました。
この決断は、多くのファンに惜しまれましたが、伝説として記憶に残る引退となりました。
代表監督としての経験
引退後はサッカー指導者としての道を歩み、1992年のUEFA欧州選手権ではフランス代表の監督を務めます。
選手時代の経験を活かし、チームを率いましたが、期待されたような結果を残すことはできません。
しかし、この経験は後のサッカー行政での活動に活かされることとなりました。
UEFA会長としての功績
その後、UEFA(欧州サッカー連盟)の要職に就き、2007年から2015年までUEFA会長を務めるなど、サッカー界の発展に貢献しました。
選手としてだけでなく、サッカー行政の分野においても大きな足跡を残した人物です。
UEFA会長として、ヨーロッパサッカーの発展と改革に尽力し、多くの重要な決定に関わりました。
プラティニが現代サッカーに与えた影響
プラティニのプレースタイルは、現代のサッカーにも大きな影響を与えています。
攻撃的ミッドフィールダーとして、得点も取れる司令塔という彼のスタイルは、後の世代の選手たちのロールモデルとなりました。
ジネディーヌ・ジダンをはじめとする後のフランス代表の名選手たちも、プラティニの影響を受けたと公言しています。
また、技術と知性を重視する彼のプレースタイルは、フランスサッカーのスタイル確立にも大きく貢献しています。
1998年のワールドカップ優勝、2000年の欧州選手権優勝へとつながる、フランスサッカーの黄金期の礎を築いたのは、間違いなくプラティニでした。
まとめ
ミシェル・プラティニは、優れた視野とパス能力、得点力、リーダーシップを兼ね備えた、まさに理想的な司令塔でした。
彼のプレースタイルは、現代のサッカーにも通用する普遍的な要素を持っています。
3年連続のバロンドール受賞、EURO 1984での圧倒的な活躍、ユベントスでの輝かしい成功など、プラティニの残した功績は計り知れません。
フランスサッカー史上最高の選手の一人として、そして1980年代を代表する世界的プレーヤーとして、彼の名前は永遠にサッカー史に刻まれ続けることでしょう。
彼のエレガントなプレースタイル、戦術的な理解力、そして何よりもサッカーへの情熱は、今もなお多くのサッカーファンと選手たちに影響を与え続けています。


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