デニス・ベルカンプのプレースタイル!アイスマンと呼ばれた伝説のストライカー

サッカー

サッカー史に残る芸術的なプレーで多くのファンを魅了したデニス・ベルカンプ。

「アイスマン」の愛称で知られる彼は、異次元のトラップ技術と完璧なキック精度を武器に、アーセナルの黄金期を支えた伝説的なストライカーです。

オランダ代表としても輝かしい実績を残し、特に1998年ワールドカップでのアルゼンチン戦のゴールは、今なお世界中のサッカーファンの記憶に刻まれています。

この記事では、デニス・ベルカンプのプレースタイルの特徴から、アヤックス、インテル、アーセナルでの経歴まで、彼のサッカー人生を詳しく解説していきます。

なぜ彼が「氷のように冷静」と評されたのか、そのテクニックの本質に迫ります。

デニス・ベルカンプのプロフィール

デニス・ベルカンプのプロフィールはこちらです。

デニス・ベルカンプのプロフィール
  • 本名: デニス・ニコラス・マリア・ベルカンプ(Dennis Nicolaas Maria Bergkamp)
  • 生年月日: 1969年5月10日
  • 出身地: オランダ・アムステルダム
  • 身長: 183cm
  • 体重: 81kg
  • 利き足: 右足
  • ポジション: FW(フォワード/セカンドストライカー)

デニス・ベルカンプは1969年5月10日、オランダの首都アムステルダムで4人兄弟の末っ子として誕生しました。

電気工の父親は地元のアマチュアクラブに所属するサッカーファンで、息子の名前はマンチェスター・ユナイテッドのスター選手だったデニス・ローにあやかって名付けられたようです。

ベルカンプは「アイスマン」という愛称で親しまれています。

これは冷静沈着な決定力とパワーに由来しているようです。

さらに、顔が俳優のヴァル・キルマーに似ていたことも理由の一つとも言われています。

また「ノン・フライング・ダッチマン(飛べないオランダ人)」というニックネームは、飛行機嫌いとして有名だったことから付けられました。

1994年のアメリカワールドカップで、飛行機ではなく船でアメリカへ渡ったのは有名な話です。

デニス・ベルカンプのプレースタイル

デニス・ベルカンプのプレースタイルはこちらです。

デニス・ベルカンプのプレースタイル
  • 異次元のトラップ技術: 40〜50メートルの浮き球を思い通りの場所にピタリと止める圧倒的なボールコントロール
  • 完璧なキック精度: ボールの中心を正確に捉え、ループシュートやボレーシュートなど多彩なシュートパターンを持つ
  • 高い空間認識能力: ボールの落下軌道を正確に計算し、次のプレーを見据えたファーストタッチが可能
  • 卓越したパスセンス: ミドルサードからのスルーパスで数々のアシストを記録
  • 冷静沈着な判断力: ペナルティエリア内でも動じず、精度の高いシュートでゴール隅を撃ち抜く
  • インテリジェントな動き: 俊足ではないが巧みなコース選択とドリブルで密集地を突破
  • 創造性とイマジネーション: チームメイトの力を最大限に引き出すゲームメイク能力
引用:FOOTBALL 3MINUTES

デニス・ベルカンプのプレースタイルは、オランダの偉大な先人であるヨハン・クライフとマルコ・ファン・バステンの中間に位置すると言われています。

異次元のトラップ技術

ベルカンプの最大の特徴は、信じがたいほど精密なボールコントロールです。

特に浮き球のコントロールは異次元のレベルに達していました。

走りながら40メートルから50メートルの距離を飛んできたボールを、思ったところにピタリと止められる技術を持っています。

空中で止めたボールが体から離れないため、相手ディフェンダーは対処のしようがありません。

そのためボールを止めるだけでなく、相手の動きも止めてしまうのです。

相手が予想できる技術レベルを超えているため、ディフェンダーは反応すらできませんでした。

圧倒的だったのは空間認知能力で、ボールが落下する軌道を正確に計算できたところです。

足下にピタリとコントロールするだけでなく、動きながら次のプレーに移れるようにあえて浮かせたまま次の動作に移行する技術を武器にしていました。

完璧なキック精度

ベルカンプのキック技術の本質は、ボールの中心を完璧に捉える能力にありました。

中心を捉えることができれば、中心を外すこともでき、ボールに適度な回転をかけたり、下を蹴ってチップさせたりすることも自在です。

相手ゴールキーパーの位置を把握しながらのループシュートは絶妙で、トラップすると見せかけてダイレクトでループシュートを狙うこともありました。

ボレーシュートのイメージが強いですが、エリア外からの強烈なシュートも得意技。

シュートのパターンが多彩で、常に芸術的なゴールを生み出し続けました。

セカンドストライカーとしての役割

単純なストライカーというよりも、トップ下のようなポジションでボールを受けることを好んでいたベルカンプは、アーセナルの流動的なフットボールにおける中心的存在でした。

得点力もさながら、パスセンスが抜群で、ミドルサードでボールをワンタッチ受けてからスルーパスで数々の得点を演出しました。

俊足ではありませんでしたが、コース選択が巧みで、ドリブルで密集地を割りながら積極的にゴールを狙っていきました。

高いスキルとイマジネーションを発揮してゲームを組み立てる役割も請け負い、チームメイトの力を最大限に引き出す存在でした。

冷静沈着なメンタリティ

ペナルティーエリアでは常に冷静沈着で、精度の高いシュートでゴール隅を撃ち抜きます。

この落ち着きが「アイスマン」というニックネームの由来の一つです。

徹底的にミスを減らす姿勢は日々のトレーニングにも現れており、練習意識の高さは後輩選手たちに大きな影響を与えました。

デニス・ベルカンプの経歴

デニス・ベルカンプの経歴はこちら。

  • 1986-1993
    アヤックス

  • 1993-1995
    インテル・ミラノ

  • 1996-2006
    アーセナルFC

アーセナル時代に見せた驚異的なトラップは、今でも語られるほど印象深いものがあります!

アヤックス時代(1986-1993年)

11歳の時にアヤックスからトレーニング参加を打診されましたが、当時アヤックスを傲慢なクラブと思っていたという理由で一度は拒否。

しかし1年後に同意し、12歳でアヤックスのユースに入団しました。

ヨハン・クライフ監督に才能を見出され、1986年12月14日、17歳でローダJC戦でトップチームデビューを果たします。

デビュー戦では観客席から「誰だ!?」と驚きの声が上がったと言われています。

1987年2月のハーレム戦で初ゴールと初アシストを記録しました。

1990-91シーズンから3年連続でエールディヴィジの得点王を獲得するという偉業を達成しました。

1991-92シーズンのUEFAカップでは決勝でイタリアのトリノを破り、優勝に貢献。

アヤックスでの7年間で239試合に出場し122ゴールを記録しています。

インテル時代(1993-1995年)

1993年にイタリアの名門インテル・ミラノに移籍しましたが、イタリアでの生活には苦労しました。

イタリアのメディアは些細なことでも大騒ぎし、

「髪を切ったら不振に悩んで髪が抜けたと書かれた」

とベルカンプ自身が後に振り返っています。

プレッシャーと環境の違いに悩まされ、インテルでは期待されたほどの活躍ができません。

52試合で11ゴールという成績は、彼の能力を考えると物足りないものでした。

アーセナル時代(1995-2006年)

1995年、当初はチェルシーへの移籍話が進んでいましたが金銭的理由で破談となり、急遽アーセナルへ移籍することになりました。

この移籍が彼のキャリアを大きく変えることになります。

1995-96シーズン、ミドルズブラとの開幕戦でプレミアリーグデビューを果たします。

初ゴールは7試合目のサウサンプトン戦と遅めでしたが、その高いスキルと多彩なシュートはロンドンのサポーターを魅了しました。

1996年秋にアーセン・ベンゲル監督が就任すると、ベルカンプは新たな能力を引き出されました。

ベンゲル監督の徹底した栄養管理や科学的トレーニング、攻撃的で柔軟な戦術により、ベルカンプは圧倒的なポテンシャルを開花させます。

1997-98シーズンには、プレミアリーグとFAカップの二冠達成に貢献し、PFAとFWAの年間最優秀選手賞をダブル受賞。

2001-02シーズンには再び二冠を達成し、ニューカッスル戦で見せた「ベルカンプターン」は後にプレミアリーグ10周年の「グレーテスト・ゴール」に選ばれる伝説的なゴールとなりました。

2003-04シーズンには、当時34歳というベテランでありながら、無敗でプレミアリーグを制覇した「インビンシブルズ」の一員として重要な役割を果たします。

ティエリ・アンリを的確にサポートし、チームの創造性を担いました。

2005-06シーズンをもって現役引退を表明。

アーセナルでは11年間で423試合に出場し120ゴールを記録しています。

引退試合は、自身がプロデビューを果たしたアヤックスとアーセナルの対戦として行われ、クライフやファン・バステンライカールトなど数多くのサッカー関係者が駆けつけました。

この試合はエミレーツ・スタジアムのこけら落としとしても記念すべきものでもありました。

ワールドカップでの伝説

1998年フランスワールドカップは、ベルカンプにとって最も輝かしい瞬間の一つでした。

準々決勝のアルゼンチン戦で、ロングパスを受けて右足だけで3タッチでゴールを決めたシーンは、ワールドカップ史上最高のゴールの一つとして今でも語り継がれています。

当時彼をマークしていたのは名ディフェンダーのロベルト・アヤラで、ロングパスを出したのはオランダのレジェンド、フランク・デ・ブール。

このゴールはベルカンプがどんな選手なのかを完璧に表現したシーンとして記憶されています。

2000年のユーロ(自国開催)では全6試合に先発出場し、ベスト4に貢献した後、31歳で代表を引退しました。

指導者としての道

現役引退後は指導者の道を歩み、アヤックスでアシスタントコーチを務めました。

さらにクラブのスポーツ面の方針を決定するテクニカル・ハートのメンバーにもなりました。

しかし2017-18シーズン前半のアヤックスの不安定な成績から、2017年12月に解任。

その後契約解除について長く争いましたが、2018年7月に正式にアヤックスを去ることが決まりました。

まとめ

デニス・ベルカンプは、記録だけでなく記憶に残る天才として、サッカー史にその名を刻んでいます。

柔らかなボールタッチと完璧なトラップ、知性と創造力あふれるプレーは、世界中のファンを魅了し続けています。

2007年にはイングランドサッカー殿堂入りを果たし、FIFA最優秀選手賞で2度3位を獲得するなど、その偉業は今なお称えられています。

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