サッカー史上最も偉大なゴールキーパーの一人として語り継がれるジャンルイジ・ブッフォン。
イタリア史上最高のゴールキーパーと称される彼は、その卓越したプレースタイルと30年間にわたる輝かしいキャリアで、世界中のサッカーファンを魅了し続けました。
本記事では、ブッフォンのプロフィールから独特なプレースタイル、そして伝説的な経歴まで詳しく解説いたします。
ブッフォンのプロフィール
ジャンルイジ・ブッフォン(Gianluigi Buffon)のプロフィールはこちら。
イタリア・カッラーラ出身のサッカー選手で、現役時代のポジションはゴールキーパーです。
その恵まれた体格と類まれな反応速度を武器に、世界最高峰のパフォーマンスを長期間にわたって維持し続け、その実力は他の追随を許さないレベルにありました。
ブッフォンの愛称はSuperman, Gigi, Supergigiとして親しまれており、特に「スーパーマン(Superman)」の愛称は彼の超人的なセーブ能力から付けられています。
もちろんイタリア代表でも活躍しています。
約20年に渡りイタリア代表の正ゴールキーパーを務め、イタリア代表最多出場記録176キャップを誇るレジェンドです。
2006年にはFIFAワールドカップ優勝を経験し、キャリアにおける最大のハイライトでした。
この大会では、イタリア代表の守護神として絶対的な安定感を提供し、チームの栄光に大きく貢献しました。
代表キャプテンとしても80試合でチームを率いました。
この記録は、彼がいかに長期間にわたって最高レベルのパフォーマンスを維持していたかを物語っています。
ブッフォンのプレースタイル
ジャンルイジ・ブッフォンはよく理想的なGK像として語られます。
なぜなら、欠点という欠点がなかったからです。
このブッフォンの持つ総合的な能力の高さと、チームメイトや観客に与える絶対的な信頼感をそれぞれお話していきます。
至高のポジショニングとコーチング能力
ブッフォンの能力で秀でているところは「ポジショニング」と「コーチング」です。
常に最適なポジションを取り続けることができ、ディフェンスライン全体を統率するコーチング能力が突出しているため、守備全体が強固になっていました。
究極はシュートを打たせない。
打たせた場合でも自分の守備範囲にシュートが来れば100%防げる状況を作る。
この理想的なゴールキーパー像を常に体現していました。
驚異的な反応速度と判断力
ブッフォンは「反応速度」と「判断力」が驚異的です。
そのため、至近距離からのシュートもすぐさま反応。
しかも、キャッチかパンチングかも刹那(せつな)に判断します。
この瞬時の判断力と反応速度により、シュートを無効化し、多くの決定的なピンチを防いでいました。
セーフティネットとしての役割
ブッフォンはピッチに立つだけで「セーフティネット」としての役割を果たしてしまいます。
この表現が示すように、ブッフォンはチームの最後の砦として、どのような状況でも確実にゴールを守り抜く絶対的な存在でした。
ブッフォンがいることで相手チームは心理的なプレッシャーを感じ、同時に味方チームには絶大な安心感を与えていました。
トッティ、デルピエロ、ピルロなど攻撃的選手が躍動できたのは、ブッフォンへの信頼性があったからこそです。
彼の存在により、後ろを気にせず安心安全でプレーできるという心理になるため、チームの攻撃陣は思い切ったプレーに集中することができました。
ブッフォンの経歴
ジャンルイジ・ブッフォンの経歴はこちらです。
- 1995-2001パルマ
- 2001-2018ユベントス
- 2018-2019パリサンジェルマン
- 2019-2021ユベントス
- 2021-2023パルマ
ビッグクラブのユベントスでの期間が一番長かったことから、忠誠心の高さが伺えれます。
パルマでの華々しいデビュー(1995年)
ブッフォンは1991年にパルマACのエルメス・フルゴーニGK育成コーチ兼スカウトに見いだされ、同チームの下部組織に加入したのが始まりで、早くからその才能は注目されていました。
そして1995年、弱冠17歳でセリエAデビューを果たします。
翌1996-97シーズンでは、正GKとしての地位を確立。
1998-99シーズンでコッパ・イタリア優勝、UEFAカップ優勝、イタリア・スーパーカップ優勝と各カップ戦のタイトルを獲得し、将来のスター街道への第一歩を踏み出しました。
ユヴェントス
2001年7月2日、GKとしては当時の史上最高額の移籍金となる5230万ユーロでマルチェロ・リッピ監督率いるユヴェントスFCに加入しました。
当初はGKにこれほど多額の移籍金を支払ったユヴェントスに懐疑的な見方をする専門家が多くいましたが、ブッフォンは実力で黙らせます。
逆にこの移籍により、彼の真の実力が世界中に知れ渡ることになりました。
ブッフォンが在籍した全期間に、
- セリエA(10回)
- コッパ・イタリア(5回)
- スーペルコッパ・イタリアーナ(6回)
- FIFAクラブワールドカップ(1回)
というタイトルを獲得しました。
チャンピョンズリーグのタイトルは獲得できなかったものの、この驚異的な数は、ブッフォンの偉大さを物語っています。
ユヴェントスでセリエA優勝を歴代最多となる10回達成したこの記録は、おそらく今後も破られる可能性が低いと思います。
パリサンジェルマン
ブッフォンはユヴェントスを離れ、パリ・サンジェルマンで新たな挑戦をします。
契約期間は1年だったものの、リーグ・アンで優勝しました。
また、個人記録としてはCL通算50回目のクリーンシートを達成します。
これはエドウィン・ファン・デル・サール、イケル・カシージャスに次ぐ歴代3人目となる偉業を成し遂げました。
異なるリーグは初挑戦ではあったものの、ブッフォンは実力を見事に証明したことで、クラブから契約延長のオファーがあったようです。
しかし、契約延長をせずに退団することを発表しました。
ユヴェントス復帰
2019年7月3日、古巣ユヴェントスに1年契約で復帰します。
ここで偉大な記録を打ち立てました。
クラブキャリアにおけるイタリア人歴代最多出場記録を更新したり、アレッサンドロ・デル・ピエロの持つユヴェントスのリーグ戦最多出場記録に並んだりしました。
また、この期間で付けていた背番号はパルマ時代の77番。
もしかすると、パルマに復帰はこの時からあったかもしれませんね。
パルマに復帰
ブッフォンは最終的に古巣パルマに復帰し、そこで現役生活を終えます。
45歳で現役引退を発表するまで、最高レベルでのプレーを続けた姿は多くの人に感動を与えました。
引退後もサッカー界に深く関わり続けています。
現在、ブッフォンはイタリア代表チームの代表団長として、精力的に活動しており、その豊富な経験と知識を活かして、イタリアサッカー界の発展に貢献し続けているのです。
まとめ
ジャンルイジ・ブッフォンは、「スーパーマン」の愛称にふさわしい超人的な能力と、30年間という驚異的な現役期間で、ゴールキーパーという職業の可能性を極限まで押し上げた伝説的な選手でした。
特にユヴェントスでの685試合出場とセリエA10回制覇、そして2006年ワールドカップでのイタリア代表キャプテンとしての優勝は、彼のキャリアの輝かしいハイライトです。
チャンピオンズリーグのタイトルだけは手にすることができませんでしたが、それ以外のあらゆるタイトルを獲得し、イタリア代表最多出場記録176キャップという金字塔も打ち立てました。
現在はイタリア代表チームの代表団長として活動しており、その豊富な経験と知識を次世代に伝えています。
ブッフォンの功績は単なる個人の成功を超えて、ゴールキーパーという職業そのものの地位向上に大きく貢献しました。
彼のプレースタイルと不屈の精神は、現代のゴールキーパーたちにとって永遠の目標となり続けているのです。
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