サッカー史に名を刻む偉大なディフェンダーの中でも、特に印象深い存在として語り継がれているのがオランダ出身のヤープ・スタムです。
その圧倒的な存在感と独特のプレースタイルで数多くのファンを魅了しました。
本記事では、スタムのプロフィールから特徴的なプレースタイル、そして輝かしい経歴まで詳しく解説いたします。
スタムのプロフィール
ヤープ・スタム(本名:ヤコブ・スタム)のプロフィールはこちらです。
1972年7月17日にオランダ・オーファーアイセル州カンペン出身の元サッカー選手です。
現役時代のポジションはディフェンダーで、主にセンターバックとして活躍していましたが、右サイドバックもこなすことができました。
身長191センチメートルの巨人として知られ、その恵まれた体格を最大限に活かしたプレーが特徴でした。
全盛期は世界屈指のディフェンダーであるロナルド・クーマンと並び「オランダ史上最高のディフェンダー」と称されたほどの実力者。
オランダが誇る数多くの名ディフェンダーの中でも、特別な存在として認識されています。
スタムのプレースタイル
ヤープ・スタムのプレースタイルの特徴としては以下が挙げられます。
それでは、すこし詳しくお話していきます!
圧倒的なフィジカルの強さ
スタムのプレースタイルを語る上で最も特徴的なのは、その圧倒的なフィジカルの強さでした。
191センチメートルの長身と強靭な体幹により、空中戦では絶対的な強さを誇っていました。
相手フォワードとの競り合いにおいて、ほとんど負けることがないほどの身体能力を持っていました。
優れた読みと予測能力
スタムは相手の攻撃パターンを読む能力に長けており、事前に危険を察知してポジションを調整することが得意でした。
なので無駄な動きが一切無く、最適なタイミングで的確にボールを奪取することができたんです。
巨体ゆえにスピードや機敏性に欠けるところがあり、足の速いフォワードに対してはやや苦戦する場面もあるのですが、圧倒的なこの能力によって弱点を十分にカバーしていました。
この予測能力により、相手が仕掛ける前に先手を打つことができ、チーム全体の守備を安定させていました。
長距離パスとビルドアップ能力
ディフェンダーでありながら、スタムは優れたパス能力も持っていました。
特に長距離パスの精度は高いです。
なので、守備から攻撃への転換において重要な役割を果たしていました。
彼もまた、現代的なセンターバックが求められるビルドアップ能力の先駆け的存在と言えます。
リーダーシップと統率力
チームの最後尾から的確な指示を出し、ディフェンスライン全体を統率する能力に優れていました。
しかも、感情に左右されることなく、常に冷静な判断でプレーできる強みもあったため、スタムがピッチにいるだけで、チーム全体に安心感をもたらしていました。
特に若い選手たちにとって、頼れる兄貴分的な存在でした。
スタムの経歴
スタムの経歴はこちらです。
- 1992-1993FCズヴォレ
- 1993-1995SCカンブール
- 1995-1996ヴィレムII
- 1996-1998PSVアイントホーフェン
- 1998-2001マンチェスター・ユナイテッド
- 2001-2004ラツィオ
- 2004-2006ACミラン
- 2006-2007アヤックス
その実力の高さを証明するかのように、所属していた所は各国の名門クラブばかりですよね。
FCズヴォレ~PSVアイントフォーヘン
スタムは1992年にエールディヴィジのFCズヴォレでキャリアをスタートするのですが、既にその才能は注目されており、若手ながら期待される存在として認識されていました。
その後、オランダのクラブのSCカンブール、ヴィレムIIと徐々にステップアップ。
この期間に技術面だけでなく、戦術理解やプロフェッショナルとしての意識も大きく向上させ、遂にオランダ屈指のPSVアイントホーフェンに移籍するのでした。
そして、ここでスタムの才能が本格的に開花します。
オランダの名門クラブで主力として活躍したことにより、ヨーロッパ各国のビッグクラブからの注目を集めるようになったのです。
マンチェスター・ユナイテッド
キャリアの転機となったのが、1998年にプレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドFCへ移籍したことでした。
PSVからの移籍金が1070万ポンド(現在の換算レートで約16億円)。
当時のオランダ人で最も高額(DFとしても)な選手となりました。
1998-99シーズンのチームを構築中で、ワールドクラスでディフェンス力のある選手を欲しかった当時のアレックス・ファーガソン監督が
「ジグソーパズルの最後の1ピース」
と表現したように、スタムの加入によってチームは完成形に達します。
それを証拠に、スタムがマンUに在籍した98~99シーズンから在籍した3シーズンすべてにおいてプレミアリーグ制覇を果たしたのです。
特に1998-99シーズンは守備の要として三冠を達成。
その結果が、フットボール界で前人未到のトレブル達成となりました。
この偉業は、スタムのキャリアにおいても最大のハイライトとなっています。
しかし、栄光の絶頂期は突然終わりを告げました。
自ら発行した自叙伝が原因とされるアレックス・ファーガソン監督との確執により、2001年にクラブを離れることに。
この移籍は多くのファンにとって衝撃的な出来事でした。
ラツィオ時代
マンチェスター・ユナイテッドを離れた後、スタムはイタリアセリエAのラツィオに移籍しました。
イタリアの戦術的なサッカーに適応し、新たな環境での挑戦を続けます。
この時期も安定したパフォーマンスを見せ、世界トップレベルの実力を維持していました。
ACミラン
2004年夏、EURO2004終了後にスタムはラツィオからミランへ移籍します。
その際、
「ライバルチームのユヴェントスとインテルも私のことを望んでいたんだ。だけど自分は迷うことなくロッソネーリ(ミランのイメージカラー)を選ぶことにしたんだよ」
と語っています。
その理由について、
「私は(マルコ)ファン・バステン、(ルート)フリット、(フランク)ライカールトを見て育ったからね。ミランは彼ら(オランダトリオ)がいたクラブだったから。」
と憧れのクラブであったことを発言。
ACミランでは2シーズンだけであったものの、随所に光るプレーを見せてくれていました。
アヤックス
キャリアの晩年は、古巣であるオランダのクラブ復帰します。
その最後に選ばれたのはオランダ屈指の名門アヤックスでした。
若い頃に経験を積んだ母国のクラブで、豊富な経験を後進に伝えながらプレーを続けました。
レジェンドとしての風格を持ちながら、最後まで高いレベルでのプレーを維持していました。
まとめ
ヤープ・スタムは、機械的な正確性と、191センチメートルの恵まれた体格を武器に、世界最高峰のディフェンダーとしての地位を確立しました。
ロナルド・クーマンと並んでオランダ史上最高のディフェンダーと評される彼のプレースタイルは、冷静沈着で計算された守備技術が特徴的でした。
キャリアのハイライトは間違いなくマンチェスター・ユナイテッドでの3シーズン。
特に1998-99シーズンの歴史的なトレブル達成では守備の要として重要な役割を果たしました。
PSV、マンチェスター・ユナイテッド、ラツィオ、ACミラン、アヤックスという輝かしいキャリアのスタムは現役引退後は指導者として、豊富な経験と知識を次世代に伝えています。
スタムの功績は単なる個人の成功を超えて、ディフェンダーという職業の可能性を広げた先駆者として、サッカー史に永遠に記録されています。
彼のプレースタイルと不屈の精神は、多くの後進ディフェンダーにとって目標となり続けているのです。
コメント